こんにちは。上杉惠理子です。
昨日10月2日、広島のお仕事の前に途中下車して、岡山に行ってきました。

↑オリーブ畑が広がる牛窓の高台にて。
小豆島など、瀬戸内の島々の美しさにうっとり。瀬戸内の空と海と風と…本当に気持ちよくて幸せ〜
なぜ岡山だったかというと、かねてよりいつか行きたいと思っていた場所がありまして、岡山在住の方がご案内くださったのです。
そのいつか行ってみたかった場所は、長島愛生園です。

開園当時からのこちらの建物は現在、歴史館となり展示を見学できます。ここに来たからこそ見聞きできる資料がたくさんありました。
長島愛生園をご存知でしょうか。
ここは1930年に開設された日本で第1号の国立療養所。有効な治療法がなかった当時、ハンセン病と診断された人は国の政策で療養所に隔離されました。
瀬戸内海の長島は、船でしか行けない島でありながら、本州と近い利便性から療養所に選ばれたそうです。
1988年に本州とつながる邑久長島大橋が架かり、現在はバスや車で訪れることができます。

歴史館の展示を見た後、ショートコースを1時間ほど歩いてきました。

岡山側にあった収容桟橋。付き添いのご家族がいても、ここからはご本人しか入れなかったそう。

収容桟橋から上陸して最初の1週間、手続きや検査等のために滞在したという回春寮という収容所。(国の登録有形文化財)

現在も3700柱以上の遺骨が眠る納骨堂。

瀬戸内海を見渡せる高台にある恵の鐘。今も朝夕6時には、時刻を知らせる鐘が鳴るそうです。
ぜひここに行ってみたいと思ったのは3年ほど前に、長島愛生園で暮らした志樹逸馬さんの詩集を手にしたことでした。
『新編 志樹逸馬詩集』
若松英輔 編/亜紀書房

だいぶ帯が破けてしまいましたが、一緒に行ってきました。
2019年、志樹逸馬没後60年の節目に出版された詩集です。
日本でハンセン病を患った人たちがどれほどの苦難の中で生きたのか、私がここで「説明」することは控えますが、入居されていた方々の映像証言もたくさん聞くことができました。
愛生園に10代の頃に連れてこられて家族が恋しかった話。愛生園に来る前は土蔵に入れられてたから、長島にきて外を歩けて嬉しかったという話。結婚の報告に家に帰ろうとしたら、夫婦一人ずつ帰るよう言われ、反発して勝手に帰ったら戻ってきた時に3〜4日檻房に入れられた話。治療薬もできて症状も良くなったから、家に帰りたいと家族に相談に行ったら「帰ってこられては困る」と断られた話…。歴史館に、入居者さんが作った昭和の頃の島のジオラマがありました。ここには、パンフレットには記載のない、「自殺場所」もありました。
病気の苦しみと、社会的に隔離される苦しみ。二重、三重の苦しみを抱え、音楽や絵画、陶芸、短歌や詩作などそれぞれの方法で、それぞれの生命を燃やして生きた人たちが多くいました。
志樹逸馬さんも、そんなおひとり。
逸馬さんの好きな詩からひとつ、ご紹介します。
種子
ひとにぎりの土さえあれば
生命はどこからでも芽を吹いたかなしみの病床にも
よろこびの花畑にも
こぼれ落ちたところが故里種子は
天地の約束された言葉の中に
ただみのる汗や疲れを懐しがらせるものよ
夢
黒土の汚れ
生きてさえおれば
花ひらく憧れをこそ持ってくる(『新編 志樹逸馬詩集』「島の四季」より)
逸馬さんの詩には、病気への苦しみや怒りを現す作品もありますが、多くの詩に美しい/醜い、幸せ/不幸、恵まれている/恵まれていないといった人間の物差しを超えた美しさを感じます。
なぜ自分は生まれてきたのか
何のために生きているのか
人生の道に迷い、全てを投げ出したくなるときには、「ひとにぎりの土さえあれば」生命は芽吹くのだという逸馬さんの言葉を読みたいと思います。
自分の中にもある「ひとにぎりの土さえあれば」芽吹いてしまう生命力を、逸馬さんの詩が揺り起こしてくれる感じがするのです。
そして、その生命力に、大切な美しい何かがある気がする。
和装イメージコンサルタントとして生きる私にとって、「美しいとは何か」はひとつの大きな問いです。
目に見えない美しさも感じ追求したいと思っていて、今回の長島への旅はその過程でぜひ行きたかった。ただただ行きたいという願いを叶えられて、本当に嬉しかったです^^
高齢化で現在の入居者さんは少なくなり、療養所としての長島愛生園の役割は変わろうとしています。世界遺産登録を目指す動きもあるそうです。今後にも関心を持ち続けていきたいと思います。
ご案内くださった方に、そして導いてくれた志樹逸馬さんに、感謝。
上杉惠理子