こんにちは
上杉惠理子です。
あなたは、日々の中で
何ものでもない、ただの自分として在る
という時間をとっていらっしゃいますか?
肩書きも役割も全て忘れて、仕事も家事も何もせず、大事な人のことも
明日の予定も何も考えず、ただ在る。
私はもともと
予定詰め込みタイプで
特に起業してからは
「1秒1分が惜しい」
という思いで駆け抜けていました。
家でぼーっとするのが
大の苦手で
寝ているとき以外に
「ただ在る」時間って
なかったのでは、と思います。
それがね
先日、体験してしまったのです!
何をしてきたかというと…
…
…
…
坐禅 です。
↑イメージです
都内のある寺院で
経営者の方が集まる坐禅の会に
ご縁あって初めて
参加させていただきました。
私、ヨガインストラクター資格も
持っているヨギーニ。
ヨガでも瞑想をするので
そんな感じかなぁーと
気楽に行ってみたんです。
そしたら…
良い意味で裏切られました!!
体験レポをお届けします^^
「始まったら動けません」初参加者向けレクチャータイム
都内のある寺院で行なわれる
夕方18時半からの坐禅会。
私はきものから着替えることもあり
ちょっと早めに伺い
初参加の人向けの
15分ほどレクチャーを受けて
坐り方、呼吸の仕方などを教わりました。
あぐらをかいて
できれば両足裏、
少なくとも片方の足裏を
組んだ反対側の足にのせる。
(片足でも結構痛い笑)
そして両手をお腹の前で
まるをつくって印を結ぶ。
目は閉じずに
2mくらい先を伏せ目で見る。
で、坐禅が始まったら
このまま動いてはいけません、とのこと。
足も崩せない
手も崩せない
鼻もすすれない
えぇええ!?
そうなの!? ←何も知らなかった笑
えっと、、
坐禅会って何分なんでしたっけ…汗汗
唯一、動いて良いのは
ご住職から
警策(けいさく)をいただくとき。
警策というのは
坐禅で肩を叩かれる、あの棒です。
あれは動いたときに罰として
叩かれるのではないんですって。
意識に集中できないときなど
目の前を通るご住職に
合掌をして合図をし
かがむ姿勢をとって(足は崩さない)
肩を4回ずつ左右叩いていただく。
自分から
いただくもの。
罰ではなく
励みなんだそうです。
へぇ〜〜〜
坐禅中に唯一動けるのは
この警策(けいさく)を
いただくときだけ。
練習、ということで
レクチャーの最後に
実際に警策のいただき方も練習。
パシパシパシパシ X2
うむ。結構痛い。
実際はもうちょっと強いです、
とのこと。汗
…だ、だいじょうぶだろうか。。私。。汗
坐る前と後の心の変化、
坐禅中の心と体が一致する瞬間を
感じてみてください
とレクチャー終了。
どきどきしながら
私の初めての坐禅体験が
はじまりました。
2回の坐禅で変わったこと
広い本堂をぐるりと
囲むように
参加者の皆さんが座ります。
まずはお経を
読むことから。
お経が書かれた聖典を
いただきまして
ご住職のお声に合わせて
みんなで読みます。
法事のときに
聞くだけだったお経を
一緒に声を出して
読めちゃった!
これだけでも新鮮な体験です。
お経を読み終わったら
いよいよ坐禅。
足を組み直し
姿勢を整え
手をまるにして印を結ぶ。
本堂の灯りが
少し落ちます。
暖房も動かさず
しんっとした空間。
終了後に教えていただきましたが
1回目は20分、
2回目は25分坐っていたそうです。
1回目の坐禅ではいろんなことが
アタマに浮かんでいました。
警策をいただいている方の
パシっパシッパシッパシッ
の音が痛そうだなぁと思っていました。
(集中していない証拠!笑)
足もじんじん痛いし
1回目の最後は
まぶた落ちていました…汗
カシャーーーーン
と鐘のようなものを鳴らす音で
1回目の坐禅が終了。
足をのばすのが一苦労。
あいたたたたた
ちょっと休憩をして
2回目の坐禅が始まります。
2回目の坐禅は
1回目とだいぶ違ったんです。
まず、足が痛くなることが
気にならなくなりました。
大丈夫。
足がしびれても
恥ずかしいことでもないし
怪我になることもない。
私の身体は大丈夫
自分の身体への信頼感が
ぐっと高まったんです。
そう思えたからなのか。
自分の中で何か
奥へ一歩進めた感じがありました。
ただ坐って
ただ息をしているだけで
何もしない
身体を休めている
わけでもない
人の目も何も
気にしない
思考すらも手放す
仕事のことも
考えない
家族のことも
愛犬のことも
考えない
自分の欲を思考から
手放すことはもちろん
誰かのために役に立とうと
考えることもしない
きものも着ていないし
きものの仕事をしている自分も
置いておいて
ただの
上杉惠理子として
いや、名前すらも
おいておいて
なにもせず
なにも求めず
なにものでもなく
ただ、在る
少し前に
私から きものを取ったら
何もなくなりそうだ
とつぶやいたことがありました。
なにもなくても
私は いた
そう感じたときの
心の穏やかさ
なんとも言えない
安定感
私が体感した坐禅は
驚くほど安心して
身を晒せる空間でした。
警策もいただきました。
自分の身体への信頼があったので
痛くても大丈夫と思えたんですね。
パシっパシッパシッパシッ
本当に練習より強かったです。
感謝して
いただくことができました。
そのとき必要な言葉が舞い降りる〜今日の禅語〜
2回目の坐禅が終わった後
足を崩して さすりながら笑
ご住職のお話をお聞きしました。
この日ご住職が
お話くださった禅語は
「体露金風」
体露金風(たいろきんぷう)
碧巖録第二十七則
ある僧が雲門和尚にたずねます。
「樹木もしぼみ、
葉も落ちてしまったようなところは
いかがなものでしょうか。」
煩悩妄想そんなものは全て無くなってしまい、
悟りや悩みの葉も全ておちつくした、
そんな境地とはどんなものでありましょうか。
雲門和尚がこれに対して
「体露金風」
と答えた。
体露とは全体露現、
すなわちかくすところなく
すべてが現れているということ。
金風は秋風。
かくすようなことは一切ないから
堂々と大地の上に立ち、
そこに何とも言えない
颯々とした秋の風が吹き渡っている。
今の私に
ぴったりのお話だったなぁと
この文章を書いて振り返りながら
感じています。
こちらの坐禅会にいらしている方は
経営者の方がほとんど。
多忙な経営者の方だからこそ
坐禅をする理由が
わかったように思います。
実はこの坐禅会にお誘いいただいたのは
今年の6月頃でした。
ですがなかなか予定が合わず
今回の11月の会に
初めてご一緒させていただきました。
7月の私だったら
今回のように身を晒せなかった気がする。
今、11月だったことが
何か導かれているように感じます。
見えない流れが
本当にあるんだなぁと。
素晴らしい坐禅体験でした。
ご紹介くださったFさまに
心から感謝です^^
主宰 上杉惠理子
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