徒然日記 〜日々出会う本や映画〜

それでもできることはある/映画「わたしは分断を許さない」

将来なりたいもの:ジャーナリスト

…と書いていた時期があります。浪人生時代から大学に入って1年生くらいまでのこと。もう20年も前になるのね。

宝塚音楽学校受験にあっけなく落ちて浪人生になったとき、世界各地の貧困や環境問題などを伝えたいとジャーナリストを目指し、社会学部を選びました。

法政の社会学部に入ってみたら、ジャーナリストになるということはマスコミに就職することで、マスコミに就職したいなら、マスコミ専門のゼミに入らなきゃとか、予備校みたいなものに通わなきゃとか、いろいろあることを知って…ジャーナリストの職業を目指すことはすぐに変更してしまいました。

私はマスコミの勉強をしたいのではなく、私はそれよりもまず実際に世界で何が起こっているかを勉強したかったから。

自分では目指さなかったけれど、綿井健陽さんや山本美香さんなどジャーナリストの方々が命がけで伝えてくれる報道写真や映画、著作などを通じてたくさん学ばせていただいた。

そうして感じていた私のジャーナリスト像は、どんな状況でも客観的な視点をブラさない人、どんなに悲惨で悲しい状況でも自分を保つ、または怒りを原動力に取材を重ねる人だった。私には無理だったなぁ、できなかったなぁ、、と思っていた。

2021年、ひょんなキッカケで出会った 堀潤さんは、そんな私のジャーナリスト像とちょっと違っていた。

フリージャーナリスト 堀潤 youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC86iqu-yHsb-BCjI3ArD9Rg

2021年2月。ミャンマーで起こった軍部のクーデターと、その後続いている市民のデモに対する弾圧。最初にこのミャンマー情勢をご自身のyoutubeで渋谷ザニーさんと緊急配信されたとき、「悲しい」「つらい」と涙ぐみながら、現地からの情報を伝えていらっしゃいました。

堀さんはご自身の感情も一緒に伝えてくださる、私にとって初めてのジャーナリストでした。このかたのお話なら、もっと聴いてみたいとおもいました。


前置きが長くなりましたが、このブログの本題はここから。

その堀潤さんの映画『私は分断を許さない』が4月16日までポレポレ東中野で再々上映されていると知り、観に行って来ました。

わたしは分断を許さない
https://bundan2020.com/

映画に登場するのは、堀さんがこの数年で取材された世界各地の「分断」のはざまに生きる人々。

シリア、パレスチナ、朝鮮半島、香港、福島、沖縄…ジャーナリスト堀 潤が出会い、寄り添い、伝えた、人々の「生の声」とは———

堀 潤は「真実を見極めるためには、主語を小さくする必要がある」という。香港では“人権、自由、民主”を守る為に立ち上がった若者と出会い、ヨルダンの難民キャンプではシリアで拘束された父との再会を願い、いつか医者になり多くの命を救いたいと話す少女に出会う。美容師の深谷さんは福島の原発事故により、いまだに自宅へ戻ることが許されず、震災以来ハサミを握っていない。久保田さんは、震災後に息子を共に水戸から沖縄へ移住し、普天間から辺野古への新基地移設に対して反対運動を行う人々と出会った。彼女は「声をあげること」を通して、未来の為に“わたしたち”ができるのはなにかを見つけていく。

国内外の様々な社会課題の現場で深まる「分断」。ジャーナリスト堀 潤が、分断の真相に身を切る思いで迫っていく。

わたしは分断を許さない公式HP STORYより

最初は香港でのデモから始まりました。区議会議員の候補者が地面に押さえつけられる、交通警察がデモで道路封鎖しようとした学生を撃つ。目の前で展開される暴力に、「うっ…」と何度も目をつむりそうになる。

再々上映にあたり、急遽最後に追加されたミャンマーの映像は、もっと「うっ…」とくる。

香港やミャンマーでのデモ弾圧の映像は、テレビなどマスメディアはもちろん、youtubeなどのSNSメディアでも制限がかかり、ネット配信では見られない。ミャンマーの人々が恐怖で手を震わせながら、窓の下で行われる弾圧行為をスマホに撮った動画は、こうして上映会に来た人にしか届かないのです。現代は情報があふれているというけれど、限られた情報/映像しか入ってこない。ちゃんと見に行かないと、入らない。

わたし達の足元、日本国内でも様々なことが起こっている。福島の原発事故で避難した人たちに「賠償金もらったんだろ」と差別があること。シリア難民の人たちが日本の難民申請が通らず、品川の留置所のような施設に収容されていること。北朝鮮では「日本との国交正常化したいから」と日本語を勉強している学生さんがいること。沖縄の辺野古基地建設反対を訴え続ける人がいること、その座り込みをしている おじいやおばあを数人がかりで退けていくこと。

そして…パレスチナ、シリア…あの争いはいつまで続くのだろうか。

自分が知っている世界はなんて小さいのだろう。

自分はなんて のほほんと生きているんだろう。

自分の無知と能天気さに気持ちが悪くなります。だけど、このしんどい気持ちをちゃんと受け止めきると、そしたら私は何をする?と考え始められる。微力でも何かできるよと、勇気づけてくれる不思議なチカラがこの映画にはあります。


わたしが映画から受け取った、これからのヒントがふたつありました。

ひとつ。大変な状況にある人に、完全に理解はできなくとも、その想いに本当に真摯に寄り添うことだけでも大きなチカラになること。

福島原発の生業訴訟で、福島地裁で原告勝訴が決まったとき。こういうときに求める方法は訴訟としかないのかな、水俣のときから変わってないんだなとうなだれつつ、原告団のおひとりが「わたしたちのおもいや状況を聴いてくれた判決だと思う」と涙ぐんで話されていたことがとても印象的でした。

ちゃんと聴く。完全に理解なんてできないけれど、寄り添う。そして、聴いた人がその人のできる範囲のことをする。これができたら、問題ってかなり多くのことが前進できるんじゃないかな。

そしてもうひとつが、戦中に朝日新聞社に勤め、敗戦の日に退社されたジャーナリストむのつよしさんのお話。戦中、軍部の検閲に引っかからないように、検閲前に社内で報道する内容を自主規制して変更し、プロパガンダに加担していた。

なぜそんな自主規制をしたのか。それは新聞社自身が自分たちを守ろうとしたからだ。社員とその家族を守るという理由をつけて、独立した立場で事実を伝える役目を自ら放棄した。

むのさんのお話を聞きながら、思ったのです。
自分が生きていけるかどうか、組織に委ねちゃいけない。

今、ミャンマーの市民に銃を突きつける兵士たちも、ミャンマーの人。彼らもまたこの軍人としての仕事や立場を、今捨てたらこの後に家族が生きていけない、そんな「正義」を持ってデモ鎮圧に向かっていると今回の映画と別で耳にした。

だとしたら。そんな「正義」が正当化されるような、組織に守ってもらわなきゃ生きていけない無力な存在に私たちがならなきゃいいんじゃないか、それがわたしが思った二つ目の道筋でした。

上映後、堀さんご自身の舞台挨拶があり今の想いを話してくださいました。「わたしは分断を許さない」はご自身に向けてのメッセージでもあると語ってくださいました。

劇場の外でも少しお話しすることができ、プレゼントのステッカーの裏にサインを入れてくださいました。

「共に発信を!」

発信することは勇気がいる。

間違ったことを言うかもしれない。自分の軽い発言が、誰かを傷つけるかもしれない。わたしもこうしてブログやメルマガ、SNSを書きながらいつも感じている。

だけど堀さんだって、800時間にわたる取材を編集しても、全てをわかっての発信は難しいと思うのです。それでもどこかで区切りをつけて発信しなければ、届かない、伝わらない、前進しない。

不完全だからと、黙る必要なんてない。

今の世界が75年前より、唯一ひとつだけ良くなっていると言えることは、技術のチカラで個人が発信できることなのだから。

これをお読みのあなたがまだ、この映画をご覧になっていなければ。ぜひ。観に行かれてください。

堀潤監督 映画「わたしは分断を許さない」
https://bundan2020.com
2021年4月16日までポレポレ東中野にて再々上映中

このわたしの文章をここまで読んでくださったあなたなら、もっと多くのことをこの映画から受け取れるはず。

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。

上杉惠理子


Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/wasojuku/momonohana-hyakka.com/public_html/wp-content/themes/jin/cta.php on line 8

Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/wasojuku/momonohana-hyakka.com/public_html/wp-content/themes/jin/cta.php on line 9